天真武甲流兵法日本古武道振興会

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「天真武甲流兵法」について

 「天真武甲流兵法」の名は「武甲流」の名を定めたとされる 「強矢良輔源武行(号:武甲斎)が興し、かつては江戸四谷の道場にて二千人の門弟を数えたという 「天真武甲流」から頂いたものです。
 玉県秩父市小鹿野町某所にある記念碑(昭和53年建立・下記)に 「天真武甲流」の記載があります。

由来

 祖は戸田清眼(富田勢源 等の記述も)、越前福井の朝倉家の家臣で約四百三十年前の人である。弟景政と共に中條流を学んだが、 一族に名人達人が輩出したため、いつしか富田流といわれるようになったという。
 政は加賀の前田家に仕え福井を離れたが、後に清眼は目を患い家督を景政に譲り、福井一乗谷に引きこもり仏門に入ったため、 宗家に遠慮して富田の文字を戸田に変えたものと思われる。
 甲流への流れとしては、関東に移り、二代宗家北條氏邦と夫人大福御前により伝えられた(埼玉県寄居の正龍寺に立派な大名墓がある)。
 の後、家臣の強矢家により代々守り伝えられ、十三代強矢良輔武行と夫人佐登子により発展したものと思われる。
 行は紀州家の指南役となり、後に江戸四谷に道場を構え、2000人 を超える門人を指導したという。

【戸田清眼】

【正龍寺】

【武甲山】

系譜

 

流祖・戸田清眼(富田勢源)-二代北條氏邦-三代大福御前—四代強矢維行-(以下強矢家)-五代弾正頼行-六代継利-七代維明- 八代庸勝-九代頼忠-十代忠賀-十一代継政-十二代継賀-十三代強矢良輔源武行(武甲斎) (紀州新宮藩師範、四谷武甲館) -十四代佐登夫(女)-十五代小松崎古登夫(女)-十六代矢沢勇夫(女)-十七代村上秀雄(女)-十八代小林清雄(女) -十九代新田寿々雄(女)-二十代中村陽一-二十代宗家代理ケント・ソレンセン

【剣聖強矢良輔出生之地】

剣聖強矢良輔(武甲斎)

 

強矢良輔 強矢良輔源武行を名乗り 号を武甲斎と称す
 寛政七年 藤倉村強矢に生る 甲源一刀流 天真武甲流 天真神刀流 戸田武甲流 薙刀師範等
その奥義を極めし剣聖なり
幼時 父民右衛門より剣道を学び十八歳にして両神村 甲源一刀流 逸見太四郎道場に入門
 研鑽練磨 免許皆伝を許さる 後 諸国を修行すること九年 足跡は遠く九州四国に及ぶ
やがてその神技を認められ 紀州侯の剣術指南となり録高二百石を授かる
 その名声愈ヽ(いよいよ)高く 後 江戸四谷傳馬町(伝馬町)に道場を開き幾多の剣士を育成す
 晩年一時帰省せしが再び江戸に上り明治九年八十二歳の高齢にてその生涯を閉ず
茲(ここ)に郷土の生みし剣豪の偉業を讃え碑文を刻し之(これ)を後世に傳える
(剣聖強矢良輔 出生之地 記念碑(画像) 本文より)

【剣聖強矢良輔 出生之地 記念碑】

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