戸田派武甲流薙刀術

現在

- ケント・ソレンセン -

 田派武甲流薙刀術 二十代中村陽一宗家は四十歳の若さでご逝去されましたが、生前に中野道場にて中村宗家御夫人と門弟一同を前に、ケント・ソレンセン師範に宗家代理として日本人門弟から次代宗家を育成、指名する事を託すと宣言し、許状を残されました。(写真参照)
 レンセン宗家代理は日本で戸田派武甲流薙刀術に入門して四半世紀を越え、中村宗家の兄弟子として共に十九代新田寿々代宗家のもと修行され、新田宗家より師範允可を受けている高弟であり、現在日本国内における唯一人の戸田派武甲流薙刀術の正式な指導資格者です。
 在宗家は空位となっておりますが、故宗家のご遺志は明確に示されており、戸田派武甲流薙刀術の門弟はソレンセン宗家代理の指導のもと、世界各国の師範達も思いをひとつに、故宗家のご遺言に従い次代宗家の育成に努め、修行と活動を続けて参ります。

由来

 祖は戸田清源(富田清源ともいう)、越前福井の朝倉家の家臣で約四百三十年前の人である。弟景政と共に中條流を学んだが、一族に名人達人が輩出したため、いつしか富田流といわれるようになった。
 政は加賀の前田家に仕え福井を離れたが、後に清源は目を患い家督を景政に譲り、福井一乗谷に引きこもり仏門に入ったため、宗家に遠慮して富田の文字を戸田に変えたものと思われる。
 甲流への流れとしては、関東に移り、二代宗家北條氏邦と夫人大福御前により伝えられた(埼玉県寄居の正龍寺に立派な大名墓がある)。その後、家臣の強矢家により代々守り伝えられ、十三代強矢良輔武行と夫人佐登子により発展したものと思われる。武行は紀州家の指南役となり、江戸四谷に道場を構えて多くの門人を指導した。晩年、秩父武甲山の麓に住み、薙刀術を武甲流と名づけたように思われる。

- 戸田清源 -

- 武甲山 -

系譜

 祖・戸田清源(富田清源)-二代北條氏邦-三代大福御前—四代強矢維行-(以下強矢家)-五代弾正頼行-六代継利-七代維明-八代庸勝-九代頼忠-十代忠賀-十一代継政-十二代継賀-十三代強矢武行(紀州新宮藩師範)-十四代佐登夫(女)-十五代小松崎古登夫(女)-十六代矢沢勇夫(女)-十七代村上秀雄(女)-十八代小林清雄(女)-十九代新田寿々雄(女)-二十代中村陽一

流儀の特徴

 わり型のある甲冑武術である。古武道の中で数少ない合薙刀が特徴で、十一本ある。太刀合、槍合、鎖鎌対薙刀が五本ずつある。他に全国でただ一つ、鍵のついた薙刀がある。対して太刀五本、槍五本、これが武甲流を代表する技である。いずれも、石突を有効に使い、足さばき、手の通いに厳しい。


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